薬害イレッサ支援者の声
国民が安心して暮らせるような判断を」
   岩崎 和子

 私は品川区八潮に住んでおります岩崎和子と申します。

東京都条例の喘息の認定患者です。87歳です。

イレッサの訴訟裁判は、呼吸器の病気の苦しさを持つものとして他人事ではなく、ずうっと支援者として歩んできました。

今日はどうしても聞いていただきたいことがあります。20年来の友人の旦那さんのことです。

旦那さんは20048月に73歳で亡くなりました。長いこと肺気腫を患っておりましたが、20042月に肺腺腫癌がみつかり、10年来、診ていただいてる大学病院の先生に、あと半年の命といわれた時、家族で話し合い、延命ということは考えなくて宜しいですから、出来るだけ、これからはおだやかに苦しまないようにとお願いしたそうです。

 そして、入院している時に、いつもと違う薬が処方され、今までの薬と一緒に飲んでいました。そして調子がよくなり、退院許可がおりました。家に帰ってから、保険診療なのに、この新しい薬は随分高いなと思って薬の説明書をみたら、イレッサと書いてありました。

退院してから間もなく突然苦しみだし、呼吸ができず、のど仏がぼこんぼこんと音がするくらい上下して、そのときの苦しむ姿は8年たった今も、身体が震えるくらい忘れたことはないといっています。

 再入院となり、またイレッサが処方され、苦しみは治まらず、旦那さんもなぜか、この薬を飲むのを嫌がるので、主治医に相談したら、主治医はこの薬は服用続けたほうが良いといわれたそうですが、その時も特別に、副作用などの説明はなかったそうです。あまりにも苦しむので、何とかして欲しいと頼んでも、手当てもしてもらえなかったので、相談室に相談してホスピスを紹介されて、転院して最期のときを迎えました。夢の新薬と私は信じて一時でも主人に無理に飲ませたことがいまでは悔やまれるといいます。

 友人はあの時、主治医は人体実験したのかと恨んだこともありましたが、私の話を聞いたり、新聞読んだりして勉強して、難しいことはわからないけど、今では、あの時はイレッサの副作用やその他の大事なことが医療現場に伝わっていなかったことがわかったと話しています。

 治ると信じてイレッサを服用して苦しみながら、亡くなっていった方が800人以上もいらっしゃると聞いて残念でたまりません。そして、さらに昨年11月、東京高裁で国と企業の責任を否定する判決が出され、ほんとうに驚きました。

 国民が安心して安全に暮らせるような、公平な判断を心からお願い申しあげます。
20121029日)



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